シェフの戯言 黒いページ

リストランテ・ロアジのまわりで起きた様々な出来事を少し辛口につづってみました。

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笑てきたれ

我々料理人の社会的地位は低い。
一部の料理人は確かに医者や弁護士を凌ぐ社会的地位の高い方も
居るには居るが、総じてどうしようもなく低いのである。

大概は料理人になりたくてなった方と、
他にすることがなくてなったアホの2種類に分かれます。
もちろん人間 職業に貴賎などあろうはずも無く
私が、他にすることがなくて料理人になったアホを
阿呆などと言って笑うことは少しも無いのであるが・・・・。


昔、手から口への貧しい苦学生だったころ、昼間は学校に行き
夜は大阪梅田の某有名ホテルの厨房の末席を汚していた時期がありました。
仕事は未知なる世界で毎日が楽しかったのですが
周りに居る先輩諸氏は????な方が多く そこは、なんとも劣悪な環境でした。

何故か知性も教養もまるでお持ち合わせの無い方ばかりで
その点が毎日辛かった、自分の今まで過ごしてきた
当たり前の常識的な世界がそこではまるで、異次元で
私の常識の中で異常としか呼べない事がしばしば
常識としてまかり通っていました。


他にすることがなくて、料理人になっても構いません
きっかけは何でも良いのですから。
しかし、一度この世界に足を踏み込んだのなら
一人の料理人である前に、一人の常識のある社会人として
あるべきで、自分が社会に甘えて散々ムチャクチャをして”やんちゃ”と呼んで
済まされていたことも当然済まなくなる時期があるはずです。


我々料理人は、市井の慎ましやかな方から
苦労して人生の花道を登り詰めた方、
なぜか栄耀栄華を極めている方、とにかく多種多様な
人間に料理を提供して喜びを与えることが仕事なのであって
例えば企業のトップの方が要求する物と、市井の名も知らぬ
お客様が要求するものは、自ずと違ってきて当然である。


だから、知りませんだの、出来ませんだの、解りませんだのは
言うべき台詞ではなく 当然道にこれで良いなどと
事はなく、究極だの至高だのというどこかの
お馬鹿漫画に書いてある料理とは1と∞の間と同じくらいに遠い道のりである。


まず、憎むべき事に無教養な人間が多すぎます。
自分の事を教養豊かな人間などと呼びようも無いのですが
少なくとも私は私が無教養な事には気づいています。
確かに仕事の話をさせれば1日でも2日でもいくらでも
話していられる方がいますが、いざ仕事以外の話になると
からっきしの天然記念物のような仕事馬鹿がいるのです。
(ある意味これは自己完結していて素晴らしいと思いますが)
確かに仕事が出来なくて、時事に詳しくても噴飯ものでしょうが
大事な事はバランスである。


福岡に中州という歓楽街があります。
中州に遊びに行く動機も様々で、女性目当ての方がほとんどなのですが・・。
昔中洲で遊び呆けているころ、ある日グレアム・グリーンが死んだ。
その夜 美女と馬鹿高いお酒を飲みながらその訃報に接したのであるが
知らせてくれた男と私以外は誰もグリーンのの事など知らず
あたりは、シーンとしらけ気味になったのですが
普段は控えめでヘルプにばかり付いていた女の子が初めは遠慮がちに
突然グリーンの話しを滔々と始め、一同唖然としました。
並々ならぬ教養の高さ、聞けばお昼間は某一流企業でお勤めでした。
彼女がお店を変わったら、(その店には馴染みが居るので)彼女が同伴が必要な時に
同伴をさせてもらいました、彼女は決して飛びぬけて綺麗な
訳ではありませんが、話が楽しく良い意味でプロでした。
(相手に合わせて楽しませてくれましたから)
それに美人なら自分のホテルのフロントにいくらでもおりましたし、
お金を払ってまで、綺麗なだけの女性とトンチンカンな
話しをしたくはありませんでした。
なにせ私は仕事で毎日、美人とトンチンカンな話しをしておりましたので。

この話し長くなったので続く。
  1. 2009/01/27(火) 02:39:36|
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師匠

今年最後のワイン会も終了。
今回は10名参加でに盛大に行なわれましたが
人数的には7の倍数の人数が良いですね。
(ワイン1本でグラス約7杯取れるため)
泡1本、白1本、赤3本 計5本のテースティング
ワインにあわせた、コース料理、デセール、コーヒー
以上で6300円は、かなりお値打ちかなと思いますが。
(経費が出れば良しの、顧客サービスのイヴェントなのです)



昨日は前菜を2種類出した後は、ポルチーニ茸とホロホロ鶏の
リゾットの予定だったのですが、業者の勘違いと連絡ミスで
食材が届かずに、急遽木の子のリゾットに変更したのですが・・・。



ゲストにお詫びをして代わりの木の子のリゾットをお出しして
やっぱり、美味しいですよと言っていただき
キッチンに来た三日月姉さんにも、味見をしてもらい
「これ、めちゃくちゃ美味しいですよ」。とのお褒めをいただいたのですが、
我々プロは自分に課せられた職業道徳と職業レベルがあるので
余人がいかに褒めようと、イメージ通りで無かった場合は
「駄目」なのであるし、逆に余人がいかに貶そうと
イメージ通りのものなら、以って瞑すべしなのであるが・・・・。


「美味しいけど、これで驚いているの」?
「まだ、本気を出していないんだけど」。
以上の言葉を彼女に伝えた時、一瞬頭がガーンとして何十年か前の事を思い出す。


私の師匠の事である。
私には、師匠が2人いるのですが、一人は通称<キング・コング>
レストラン、エカイエ ド パレ ロワイヤル のシェフ 「アッティリオ・バッソー」氏と
(この方の事もいつか書きます)日本人の山崎シェフです。
料理の仕事の技術部門では山崎シェフであり
料理に対する基本概念は、アッティリオさんである。

いつか、何かに書いたけど山崎シェフは仕事はピカイチだけど
完全な性格破綻者でセコンドが誰も付いて来れずに
すぐ、辞めていましたが、なぜか私は愛されてしまい
不思議と可愛がって頂きました。
仕事に対してのオーダーはとてつもなく高くやること成すこと、
難癖をつけられたり、あからさまに馬鹿にされたりと
散々な目に会いましたが、不思議と辞めたいとかは思いませんでした
技術が習得できれば良いのであって、1日も早く基礎をマスターして
渡仏の事しか頭にはありませんでしたから。


時々他に誰も居ない時に、ふと変な優しさを見せる方でした。
ある日、居残りをいわれて宴会の料理のアシスタントをしている時
お腹が減っただろうと、ニンニクを5片剥くように言われ
完熟のトマトを3個容易して、皮を湯剥きするようにも言われました。
他にフランスパンのスライス、グリエールチーズ。

作り方は以下の通りです。
冷たい鍋にニンニクの微塵切り、バージンオイルをひたひたに入れて
低温で加熱していきます、ニンニクに軽く色が付いたら
1cm角に切った完熟トマト、水600ccぐらい加えて 
後はマギーブイヨン(あればマギーのグラニュレイト)と塩コショーで
味をつけて、5分ぐらい煮込みます。
耐熱カップを用意して、できあがったスープを注ぎ
フランスパンのスライスを2枚ぐらい載せて 更にグリエールチーズを
たっぷり載せて サラマンドル(上火だけのオーブン)で
表面を焦がしたらできあがりです。
空腹な胃袋をギューッと鷲掴みにされたほど、美味しかった。


こんなシンプルな食材で これだけ美味しいスープを10分も掛からずに作れるなんて。
感動で恍惚としていると、師のたまう
「こんな事で感動しているの?トーマスもまだまだだな
第一この程度のスープに本気はなんか出していないからね」。



この人が本気を出して作った料理とは、いったい
どんな料理なんだろうと密かに憧れました。


師は仕事は抜群なのに、その性格から料理人としての後半は冷遇され
不具を極めましたが、今は引退して沖縄で幸せに暮らしているとの事。
何年かしたら南の島に訊ねて行こうと思います。



今でも同期の4人が集まれば、(現在私以外は、かなり大きなホテルで
グランシェフ<総料理長>をしています。)
我々4人が山崎シェフの技術は凄かったといまだに絶賛している方、
技術以外は図らずも私の反面教師になってしまった方ですが
それでも、みんなの尊敬は一身に集めています。

「いつまでも、君が私以下なら、弟子として師匠に対して
大変失礼な事だ、尊敬はしても師匠の技術はいつか
否定される運命にあるから、頑張りなさい」。


遠い昔に掛けられた言葉・・・・。
私は、果たして師匠を越えられたのだろうか?
  1. 2008/12/21(日) 14:48:58|
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受難の月

11月も終わりになると、ヨーロッパの町や村では
目抜き通りはクリスマスのイルミネーション一色になります。
日本みたいにカラフルではなく、銀色がベースでしたが今はどうでしょう?

そして、11月の終わりには各家々の郵便受けには、おもちゃのカタログが投げ込まれる。
すると、ガキ共は勝手気ままに今年の希望商品に丸をつける。
まず、第一波サン・ニコラの日12月6日である。
12月5日の深夜サン・ニコラは、良い子の部屋を訪れて
プレゼントをそっと靴下やスリッパの上に置いておいてくれます。
このじいさん、白髪に白い髭とどっかで見た事のあるじじいの
出で立ちなんですが

何か少し違うぞ・・・・・。

まず、幼稚園などに出没する、サン・ニコラの出張サービスであるが
乗り物がトナカイの橇などという、しゃれた物ではなく
何んとドンキー(ろば)に跨って登場するので少し間抜けな感じがします。
それから、おなじみのじいさんと違うところは
真っ赤な着衣の色は同じですが、ジャケットとパンツのスマートなじいさんと違って、
衣服の形はどう見ても修道士のフード付きの長いマント
首からはどでかい、十字架を下げ 頭にはありがたい
司教冠をお召しになっておられます。
さらに、馴染みのじいさんと違う所は
全身黒ずくめのフェタールと言うお供を2人もともなっています。
(顔まで真っ黒です)
フェタールは出で立ちが恐い上に、棒まで持って悪餓鬼を
懲らしめるべく武装しています。
まるで、西洋版秋田のなまはげです。
大抵の悪餓鬼は泣き叫び、サン・ニコラに日ごろの悪行を悔い改め
良い子になる事を誓います、そしてご褒美としてサン・ニコラからのプレゼントを頂きます。


そうです、サン・ニコラは(セイント・ニコラウス)サンタクロースの
モデルになった聖人です。
プレゼントをもらう時は、どの子もサン・ニコラの膝に抱かれて
祝福の言葉をいただけます。
カメラをお持ちの父兄の方シャッターチャンスですよ。
ベルギーの場合、幼稚園などに出没するサン・ニコラは
スペキュローズというやたら硬いシナモンクッキーしかくれませんが
夜中に忍び込んでくる、泥棒サン・ニコラはアーラ不思議
「アタイが丸をつけたおもちゃが」。ちゃんと足元のスリッパの上に
置いてあります。
これが1回目の受難です。

さて、月日は流れて12月24日ノエル(クリスマス)のイブの
夜は大抵親戚一同が集まって、ドンチャン騒ぎとなりますが
集まった大人達が全員おもちゃを、それこそ山のようにくれます。
夜中におとうさんがコソコソと、枕元にお願いしていた
プレゼントを1個置いていってくれるのとは、分けが違います。
ベルギーの子供達は、クリスマスプレゼントは
サンタではなく、大人がくれると思っています。
さらに、1週間後のレヴェイヨン(大晦日)のドンチャン騒ぎで
お金も元気も使い果たして、受難の12月が終わります。
大抵が徹夜で馬鹿騒ぎをして、正月の元旦は寝正月となります。

お休みは元旦1日だけです。
  1. 2008/12/20(土) 01:14:32|
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はるかな記憶

ご幼少のみぎりに・・・・・。
ひょんなことから、二科展に入選しました。
それも、特選?か何か偉そうな賞でした。
画伯の作品名は「お芋」。と言う静物画です。
当時はまだ天王寺美術館と言われていた、大阪市立美術館で
賞状と記念の盾の授与式が行なわれました。


音楽は全く駄目なこの餓鬼が、「二科展入選?特選?」発狂した
両親は近所のテーラーでギンガムチェックのジャケット&半ズボンを
オーダーしてくれました。
当時は高価な黒の革靴、白のハイソックス、白のワイシャツにレジメンタルストライプタイ。
イギリス貴族の子息の様な、第一級正装で会場に臨みました。
白い馬は予算の都合で居りませんでしたが
いつもは、大事にされていた兄がその日は霞んでいました。
授与式は退屈極まりなかったのですが、その間欠伸をしたと言って1発
鼻くそをほじったと言って1発、股間を掻いたと言って1発頭を叩かれました。


私としては、すぐ横にある天王寺動物園に早く連れて行って欲しかったのですが
入賞者と家族はその日の美術館の入場は無料という事でしたので
(両親はよほど嬉しかったのでしょう、 たかが1-2週間の展示に3回も連れて行かれました)
美術館もゆっくり見ましょうという事になりまずは、美術館へ
その時特別展がやっていました、たしか「メキシコの近代画家展」だったと思います。
田舎者の親子4人、そんな高尚な物なんぞ見るのも初めてなんですが。
その中にフリーダ・カーロとディエゴ・リベラの作品が多数ありました。
忘れられない強烈な1枚の絵、
フリーダ・カーロ『二人のフリーダ』。

見ているうちに恐ろしくなり、私の両親がこの絵達の解説が
できるほど教養もないし・・・・。
シュールな絵を観たのも初めてでしたが、ただフリーダの痛みと苦しみが
凄すぎて伝わりすぎて その夜はうなされて恐い夢を見ました。

今もベルギーのポール・デルヴォーやダリの絵に惹かれるのはそのせい?
シュールなシュールな体験でした。


やっとお楽しみの動物園なのですが、当時の天王寺は非常に柄の悪いところで
柄の悪いおっさん達が昼間から酔っ払って騒いでいましたので
(今も天王寺、通天閣、じゃんじゃん横丁などは人気が荒いところですが)
草々に退散しました。
ただ園内にあったステゴザウルスとティラノレックスの
巨大なセメント製の像は、降りしきる黄色いイチョウの葉っぱの中で
記憶の中では珍しく 総天然色カラーで(この様な事を書くこと自体私の年も知れよう)
ひときわ鮮やかに、記憶にありありとのこっています。


絵画はその後鳴かず飛ばずで、あの時絵の才能を
一生分使い果たしたのだと 思っています。


『母さん、僕の賞状と盾は何処に行ったのでしょう』。?
  1. 2008/10/10(金) 12:28:16|
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戦後の学校給食における民主主義と貧富の差についての考察

テーマは凄い!
テーマは凄いが内容はなんにも無い。(スミマセン)


夕方、近所の「ほっともっと」(旧ほっかほっか亭)の前を歩いていたら
学校給食と同じ 色々なおかずの匂いが混じった香りがして何んとも恍惚となった。
昔食べた、学校給食が懐かしくなっただけである。


新入生は学校が慣れるまでは午前中授業でしたが、
しばらくして学校に慣れてくると給食が始まりました。
私が食べられないのは、沢庵だけ。でしたから


嫌いだった人が呪いを込めて話すのとは違い私は給食が大好きでした。
みんなが嫌がる、脱脂粉乳もゴクゴクと2-3杯平気で飲んでいました。
パンは多分二等粉か三等粉で作ったコッペパン1個か、食パンなら2枚でした。
それに、マーガリンかジャムが付きます。
今仮に当時と同じ物を食べたら、不味くて食べられないでしょうが
ほんのりと暖かいコッペパンに安らぎを覚えました。
学校給食のメニュー、地域差と時代差があるのですが
私の頃は月に一度だけの揚げパンがみんなのお待ちかねで
パンにパン粉を付けて油で揚げてきな粉をまぶしただけなんですが
なんだかとてつもなく美味しく感じました。



おかずで人気はやはりカレーでしたが、カレーとは名ばかりのカレー汁でした。
でも来月の給食の献立が配られると、マジックペンで赤丸をしていました。
九州はなぜかチャンポンなどが出される事がありますが
東京の友人は給食でチャンポンなど贅沢だと言っていました。
不思議とうどんは食べた記憶がありません。
鯨の竜田揚げなんぞ懐かしいですね。
お肉は多分枝肉で買ってくるのでしょう、やたらと検印の付いた
お肉の塊が豚汁なんぞに入っていました。(気にせずに食べていましたが)


小学校は市立で私服なんですが、やはり着ている物には貧富の差が激しく

小学校内の勢力分布図も
ジモティーの長ズボン&ズックの先祖代々のお百姓一家、
冬でも半ズボン、ハイソックスの新興住宅一家、
(百姓一派に言わせる所のよそ者。私はこの分類に入ります)
少数勢力の低所得者層の市営住宅居住者
三つのカーストが好むと好まざるとに依らず形成されていました。
市営住宅派は何でもあるものを着ていました、暮らしが大変で
そんなことには構っていられなかったのでしょう。


で・・・・。給食を残したりタラタラ文句を言っているのが、何故かいつも
マジョリティの長ズボン洟垂れガキ共や、半ズボン少年達ではなく
マイノリティの市営住宅の子供達でした、前にも書きましたが
クラスに2-3人は生活保護を受けている友達が居ました。
遊びに行くと、布団は万年床でその布団はお米の布の袋で出来ていたり
かなりな、カルチャーショックを受けました。

お父さんがギャンブル狂や、母子家庭、理由不明・・・・。
何かしら不幸を背負っていた子供達でしたが
なぜか、給食の時間になると文句を言うのです。
いわく、「家では牛肉しか食わん」。
いわく、「豚肉は臭くて食えん」。
いわく、「このミルクはアメリカでは家畜のえさだ」。(嘘です)


ここで、興梠 明君の登場となる(興梠はこおろぎと読みます。日本神話にも
出てくる立派な苗字です宮崎の高千穂や熊本の阿蘇地方に多い苗字です)
明は偽名です。
明君の家はやはりぐうたらな父ちゃんが、仕事もろくにせず
生活保護を受けていました。
明君好き嫌いがあるのは構わないのですが、いつもあまりにも悪し様に
言うので
クラスメイトに「生活保護は黙って食え」と言われてしまいました。
「何でも食べないからお前は二番目にちび(学年で)」とも言われました。
クラスの隅で泣いていましたが、だれも同情はしてもあげませんでした 。
牛肉、ミルク、ちびこれが揃うと今でも思い出します。


私ですか?、みんなが嫌がる給食を人の分までありがたく
食べていましたから学年で一番大きくなりました。
(入学した時点で一番でかかったのですが)



給食は原則残せませんでしたが、
(10年前みたいに無理やり食べさせたりという事はありませんでした)
パンは残せましたし、学校を休んでもパンだけは自動的に
近所の友達が届けてくれました。

さて、今はどうなっているのでしょう?


答えは、一切持ち帰りは駄目だそうです。
その理由は何かあると全て学校のせいにする
親があまりにも多いからだそうです。


昔懐かしい学校給食の思い出などありましたら、お聞かせ下さい。



話しは変わりますが、久しぶりにブラックジョークを。

昔書いた「スープの中の蠅」の新作があったので・・・・。

レストランで、自分が頼んだスープの中にハエが混入していたらどうするか?

アメリカ人は、店に対して訴訟をおこす(アメリカの訴訟社会を揶揄している)。

イギリス人は、スープには手をつけずウェイターに皮肉を言ってから店を出る(イギリス人は皮肉好きと考えられている)。

韓国人は、ハエが入ったのは日本人が悪いと言ってその場で日の丸を焼き払い
日本大使館の前で鶏の首を刎ねる(韓国人の日常的な反日思考を揶揄している)。

中国人は、躊躇せずハエを食べる(なんでも食材としてしまう文化を揶揄している)。


久しぶりなのでジョークのネタばらしをしてしまいました。
  1. 2008/10/05(日) 01:33:34|
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