シェフの戯言 黒いページ

リストランテ・ロアジのまわりで起きた様々な出来事を少し辛口につづってみました。

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ご注文はどっち?

新しい臓器移植法の改正案が衆議院にて賛成多数で可決されました。

マイミクさんのコメントで少し書きましたが
日本はその行為を正当化してくれる、社会共通のコンセンサスも
宗教のお墨付きも無い国である。

キリスト教では「汝の隣人を愛せよ」と言う教えもあれば
キリストが人類の贖罪のため十字架に掛けられ犠牲になったと言う
行為があったので、臓器提供もその行いにつながると考えられ
教会側の考えは概ね肯定的である。
精神や魂に安らぎを与えるのが、神の領域であり
現世の肉体の安寧は医療の領域と考えられる。
つまり精神と肉体では癒す機関が違いそれぞれの分業制が確立されている。


キリスト教世界が面白いのはたとえ人食いをしてでも
生き延びる為には仕方の無い事と判断されれば
アンデスの山中で仲間の遺体を食べつくしても
その行いは生き延びる為に行なった正当な行為として認められる。
(彼らが生還した時ローマカソリック教会は真っ先に
彼らの行いを認め正当化する声明を出していました)
良い事か悪い事かそれは解らないけど、同じことを日本で
犯したら多分仲間を食べてまで生き延びた卑劣な人間として
扱われるのが現状でしょう。

江戸時代あれほど飢饉を繰り返し何万人と餓死者が出ても
日本では飢えのために仲間を食べたと言う話は殆どありませんが
中国でも西洋でも極限状態での食人はよくある話でしかなく
(中国の場合は少し違い趣味嗜好で簡単に喫人<チャーレン>に走りますが)
日本で人食いに走るのは恨みから来ることが殆どでした。
我々は他人の不幸の上に自分の幸福を築く事を「是」とはしませんでした。


アメリカでよく聞く司法取引も、事の善悪は
神が裁くものであり現世で5年や10年刑期を短くしても
地獄に落ちる人間はどうせ地獄に落ちると言う考え方が根底にあります。


では、アジアの仏教国ではどういう現状かというと
タイは敬虔な小乗仏教国ですが、アジアで最初に
脳死判定を受け入れ臓器移植に踏み切った国でした
その根底を成す考えには(布施)(困っている人に施しをする)を
行なうことはと言うことは
功徳を積むことの中でも上位にあり、中でも自分の体も全て
困っている人に与えるという事はもっとも素晴らしい事とされている為です。
ここにも宗教によるお墨付きがあります。
それに死生観の違いからか彼らは死後の世界では魂のみの存在で、
現世の肉体には執着をしないという考え方があります。
キリスト教の基本的な考え方同様、仏教界でも概ね臓器移植には
肯定的な現状があります。


では我々平均的な日本人はどうなんでしょうか?
生まれてすぐのお宮参りは神道、結婚式はキリスト教
死んだ時のみの葬式仏教、自分の家の宗派も若者は知りませんし
どんな教えなのかはさっぱりです
その他、後は何でもありの、およそ宗教に対しての
貞操観念の全く無い我々ではあるが・・・・・。
体(生死を問わず)には異常に執着するのです。


今年の春先に長崎の漁船が沈没しました。
あまりにも費用が嵩むので沈没した漁船は
今の所引き上げられてはいませんが
先日天神を歩いていると遺族の方達が引き上げの資金を
皆さんからの浄財に縋ろうと雨の中募金をなさっていました。
それはなぜか?、遺族の体を暗い海の底から引き上げて
自分たちの墓所に休ませてあげたい気持ちからだと思われます。
ハワイ沖でアメリカの原潜の不注意から衝突、沈没した事故では
四国の水産高校の練習船は費用度外視で引き上げられました。
関西淡路大震災でも御巣鷹山の日航機墜落事故でも、
安否の確認にこだわったのは外国人で
破片でも良いからと遺体の回収にこだわったのは日本人でした。


日本では生体から生体への臓器移植は多分アジアで
トップクラスの施術実績があるとは思います。
我々は決して臓器移植を否定しているとは思えませんし
アメリカを別にして臓器移植の技術レヴェルは高いと思いますが、
臓器移植法が施行されても脳死死体からの移植が
劇的に増えているとも思えません。
何か深い所に我々の精神的なネックがあると思います。


今回の争点の幼児への移植の道を開くという事。
例えば私に1歳になる可愛い子供が居たとします。
日々の成長が楽しみでヨチヨチ歩きも出来るようになり
表情も豊かになってきました。

例1.ある日重い心臓病になり心臓移植しか助かる手段が無いとしたら
迷わず他人の心臓でも構わないのでこの子が生き延びられるなら
移植を受けさせたいと思うと思います。
きっと藁にも縋る気持ちでしょう。
この場合は脳死は移植をする為には便宜上とはいえ
人の死であると肯定すると思います。


例2.ある日事故で可愛い我が子は植物人間になってしまいました
でも、呼吸器をつけていますが呼吸もします。心臓も動いています。
爪も髪も伸びます体も大きくなっています。
どうにかした拍子に笑っているような顔を見せる時もあります。
またいつか目を開けて、微笑んでくれる日が来ると信じて
私は介護を続けるでしょう。
いくら脳死だと宣告されても、私は決して受け入れないでしょう。
脳死なんて移植をしやすくするための、自分の幸福が他人の不幸の上に
成り立っていると言う後ろめたさをごまかす為の
人間の尊厳を無視した便宜上の手段でしかないと思うはずです。
臓器移植を勧めてくれたコーディネーターの言いたい事は
良く理解できても、なんで生命維持装置にに頼っているとはいえ
生きて呼吸もして成長もしている我が子なのかと憤るでしょう。



私の意見はその場にならないと解りません。
肝臓や腎臓や骨髄 分けてあげられる臓器ならいかに
苦痛を伴おうとも我が子には進んで提供するでしょうけど。
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  1. 2009/06/25(木) 09:32:33|
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