シェフの戯言 黒いページ

リストランテ・ロアジのまわりで起きた様々な出来事を少し辛口につづってみました。

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冒険者

夏は川もよく行きましたが
海にももちろん良く行きました、と言うか海辺の村に預けっぱなし。
私の身内には今でも漁業を営んでいる者が、数家族います。
5月25日の世界一の朝食で書いた伯父の家も漁業を営んでいます。
今は値段の良い「かんぱち」にシフトしていますが
当時はハマチの養殖をしていました。

ハマチの養殖は午前中に餌をやり、午後からは暇になります。
従兄弟のお兄さんは中学生ですけど、一人前に家の手伝いをして
もちろん漁船の船舶免許など持ってはいませんが
操船は鮮やかなものでした。

僕も持ちたい船の舵・・・・。
ある日の午後、港の横にある磯でサザエなどを潜って捕っていると
従兄弟のお兄さんが、「ハマチの生簀まで泳げたら
舵をちょっとだけ持たしてやる」と悪魔の誘惑をします。


ハマチの生簀のある筏は、遥か沖合い1000m-1200mの所にあります。
当時はすでに、プールなら1000m泳ぐ自信はありましたが、
100m沖に泳いで行く自信は全くありませんでした。


理由1.途中で嫌になっても止める事は出来ないから。
理由2.沖には鮫がいるから。
さて、人生の選択、ここで恐がって行かないと言うと
恐がりの烙印おされて、臆病者のそしりを受けます。
行って、「お前は勇気のある奴」と仲間に入れてもらいたいのもやまやまです。


その、2-3日前も大きな漁船の船長場の屋根(つまり一番高いところ)から、
頭から飛び込めと言われて海面まで5m以上あったと思いますが。
10分ぐらい高台の上で、恐がりと囃し立てられてあげく、飛び込んだばかりです。
試練は続きます。


恐がりの兄は、2-3日前と同じくさっさと行かないと宣言しました。
で私は・・・・。力なく「行く、泳ぐ」と言わされたような。
浮き袋でも持っていれば安心なのでしょうが、
漁村の子供は1年生でほとんどが、泳げます。
浮き袋など、持っているのは保育園児ぐらいです。
(もちろん幼稚園などという洒落た物はありませんが)
岩場から、ざぶんと海に飛び込んだのはいいのですが
心はとっくに後悔をしていました。

まさか、クロ-ルで鮮やかに一気に1200m泳げればいいのでしょうが
そんな体力がまずないし、海の中をクロールで顔を海に浸けて力泳するには
目が痛くならないようにゴーグルが(当時は二眼ニガンと言っていました)必要です。
素潜り用の一眼(鼻まで塞ぐ水中眼鏡)しかありません。
鼻を塞ぐのは、遠泳には不利なので置いてきました。
平泳ぎで気長に距離を稼ぐしかありません。
その日は運よく凪の日で、波はほとんどありません
ただ、遥か向こうを行き交う漁船の立てる軌跡の跡が
凄い波になって、2度3度にがしょっぱい海水を飲まされます。
ついに600m近く泳いでやっと中間点に。
そこで気が付いたことが もしかして、帰りも泳がなければならないの?
いっしょに、泳いでいる従兄弟のお兄さんに聞いてみたら
「当たり前だ、タクシーは来ないぞ」の一言・・・・。


本を読みすぎると言う事は、時として良くない結果をもたらします。
「トロッコ」だ!。芥川龍之介の「トロッコ」だ。
l あん時の土工は従兄弟のお兄さんで、私は良平なのである。

一気に、広がる恐怖心。
そこには、蜜柑畑のパノラマも蜜柑の良い香りもしないのです。
平坦な青い海と、鼻につく磯の香り 時たま漁船の立てる波だけ。
恐怖心を抑えながら何とか片道を制覇、無事筏に這い上がる。
とりあえずは、助かった。


休んでいる時、意地の悪い従兄弟のお兄さんは聞きたくも無い鮫の話しを始める。
まだ、お盆前だから心配ないがお盆を過ぎると
鱶(九州では鮫の大きな物は鱶です)が地に寄ってきて危ないとか、
島の浦(近所の離島)の人が、船から足を出して洗っていたら
いきなり、左足を喰いちぎられたとか、嘘か本当か解らない話を延々と続ける。
お前の足の裏は白いから、水中でキラキラして鱶が寄ってくるだの
褌を足に付けて泳ぐと、鱶は自分より大きな物は襲わないとか
(この2点は本当です、褌が効くかどうか実験をする気にはなれませんが)
灯台のある防波堤から、沖に目を凝らして見ると、
時たま大きな生物の背びれが観察できます。
それが、鱶なのかイルカなのかは、解りません
とにかく、何かが居る事だけはたしかです。
何かが居ると言う事は、そいつが人間を襲わないと言う保障は何処にもないのです。
10年程まえ、隣接する大分の漁村でホホジロ鮫に
襲われて亡くなった方が現におりますから。


あの時良平は「命さえ助かれば」と思っていたが、
冷静に考えると、命には何の危険も無い、あるのは暗闇を一人で
帰らなければならない、恐怖心だけである。
私と言えば、溺れて死ぬか、鮫に食われて死ぬか・・・・。
運が悪ければ、どちらにせよ、死ぬのである。
良平は家に着くまで、泣きはしなかったが、涙は頬を伝っている。
私は、恐くてと言うかとにかく 泣いたら負けなのである。


「もう、泳げるか」?。従兄弟のお兄さんは心配がちに尋ねた。
(鮫の話しは、喋った本人も恐いのである)
「うん」。と言っては見たものの、
気分はまるで屠殺場に曳かれていく牛か豚である。
パニクッて水を泡立つようにかき混ぜるのも良くない。
静かに、静かに。憧れの大地を目指す。
行きはよいよい、帰りは恐い。
いくら泳いでも地には近づいた気がしない
往路が比較的楽だったのは潮が沖向きに流れていたからである。
復路が進まないのは流れに逆らっているからである。
従兄弟のお兄さん、流石漁師の息子
突然、横に泳げと言い始める「???」。
わけが解らなくなるが、とにかく死にたく無いなら
彼のいう事を聞くしかない 50mぐらい横に泳いだら
「アラ不思議」。進む進む泣き出しそうなのをこらえてこらえて、
地面に足が着いた時の幸せ。


こうやって、3時間半の私の冒険と呼べる冒険は終わりました。
伯父の家に帰ると、入り口に母が立っています。
(私のささやかな冒険は、おりこうな兄に密告されていました)
形相は鬼のようです。何をして来たのかと聞かれたので
今日の出来事を、自慢げに話すといきなり頬にビンタをくらいました。
私の母は、子供に折檻することなど何んとも思ってはいなく
それこそ、犬か猫みたいに(最近は犬も猫もぶたれませんが)よく
ひっぱたかれていましたが、顔を殴られたのは最初で最後でした
「お前は、死んだらどうするつもりだったのか」と聞かれて
あとは、オイオイと泣き崩れていました。
そんな事を聞かれても、死んでから意識がもしあったら
出来る事で、その様な事を聞かれても・・・・。無理。



小学校4年生の夏、この世に女の涙と言う恐ろしい物があるのを初めて知りました。


新学期が始まり、クラスのみんなに私の大冒険を
話してやったのに、あまりにも荒唐無稽な話しと笑われました。
きっと、フィクションだとみんなは思っていたのでしょう。
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  1. 2008/08/06(水) 18:55:02|
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少年時代

井上 陽水の少年時代を聞くと胸がせつなくなりませんか?

さて、虫取りも終わり七夕が過ぎて期末試験が終わると


『祝!夏休みである』。


ただし、終業式の日の憂鬱な事。
決して私の成績が悪いわけでは無いのに、勉強のできる兄と
いつも比較されて嫌で嫌でたまらなかった。

3の評価なら、私なら「平均で良かったね」で済ましていると思いますが
仮に自分の子供に1-2の評価があってもその事で叱ったりはしないでしょう。
むしろ、約束を破ったり、あいさつをしなかったり、
お礼や謝罪をしない事に対しては、注意すると思いますが。


3があったと言って怒られるのが、理解できなかった
国語と社会と理科と体育と図工の5-4の評価は決して褒めてもくれなかった。
そんなもの、『当たり前だ』と言われてお仕舞い。
もっと褒めておだてる教育をしていればもう少しはましな
人間になれたのかもしれなかったのに・・・・。


さすがに、音楽の2-3の評価は遺伝的形質を色濃く反映しているので
叱られたりはしませんでしたが。
(私の一族は音楽は全く駄目な家系です)


午後いっぱいの母親からのお小言からも、夕方には開放される。
体育と図画が万年3の兄は何をしているかというと
さっそく、夏休みの友などを広げている。
「こいつはどうしようもない、馬鹿だと思いました」。
夏休みの宿題を泣きながら終わらせたのは、1年生の時だけでした
他の年は、はなからやりたくも無い事は
一切やろうともしませんでした。

夏休みの宿題を、やらなくても良いとは、言いませんが
しなければ、しなくても構わないと思います。
それより、私にとって興味を引かれることは、夏休みの図画工作で
特別賞を貰って、体育館に展示される事でした。


読み書き、簡単な計算、言葉遣い、あいさつ、何かをして貰ったらお礼が言える事
過ちを犯したら謝罪ができること、人間としての優しさ。


以上ができれば世の中は その子供を受け入れてくれるでしょうし、
大きな問題も無く生活は成り立って行くでしょう。(多分?)
人間が生きていく上で、何が大切かと言う問題になります。


小学校低学年の時、私は結核でした。
入院治療まではいかないのですが、過激な運動などもってのほかで ひたすら
安静を強いられて、友達はみんな海や山で楽しく過ごしているのに
家の中で『少年少女世界名作文学全集』なんぞを、
全部読破しなければならない自分を呪いました。


3年生になると、病状も安定してきたので晴れてもとの野放し状態。
夏と言えば、水遊び。
私の田舎には五ヶ瀬川、北川、祝子川と大きな川が3条もあります。
子供のやる事と言えば、水遊び。
山から竹を切り出していかだを組んだり
(その年の新しい竹ではいかだを組む事はできません、少し年数の経過した古い竹が加工がしやすかった)
「金突き」を自転車のスポークとグライダーのゴム紐でこしらえて
鮎や川手長海老を突いたりと
完全に、サヴァイバルモードの毎日でした。
いつか書きましたが、当時の子供はみんな「肥後の守」
http://www.ehamono.com/washiki/higo/と言う
折りたたみナイフとタコ糸は、必ず持っていました。


今の親なら 危険だと言って自分の子供に買い与えたりはしない物でしょう。
こどもは、50円の安物ナイフを砥ぐことを覚え、金属の腐食の事を知り
何よりも自然の物を加工して、人工の物を作り出せる事が
子供の情操教育にどれだけ寄与する事でしょう
小さいころナイフを持って 野山だ遊んだ事のある子供は
そのナイフを人に向けて、むしゃくしゃするからといって
いきなり切り付けたりはしないでしょう。


彼が大人になるまでに、彼はすでに多くの命を奪って来ているでしょうし
彼には、ナイフを向けた先には時として自分や相手の
『大けが』や『死』が待っていると言う事を良く知っているので
人には向けてはならない物だという事を理解しているはず。
最近の殺傷事件を聞いて殺された方や遺族の気持ちを考えると悲しい気持ちになります
  1. 2008/08/05(火) 18:28:34|
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夏が来れば思い出す。」

今は、一番嫌いな季節になりましたが、幼い頃は夏が待ち遠しかった。


八十八夜が過ぎて、時たま暑い日が来ると居ても経っても居られなくなります。
夏の訪れ。
まずは、五月の連休が明けてしばらくすると山にクワガタムシが出没する。


すると、梅雨の山の中虫取りが始まる。
今も昔も、一番の人気は大クワガタかヒラタクワガタでした。
次がカブトムシ、のこぎりクワガタ、滅多に取れない
ミヤマクワガタも人気の的でした。
メスの虫や、カミキリムシは、雑魚扱いで安くで取引されていました。
カブトムシのメス3匹でオス1匹などと、やっている事はまるで奴隷商人です。
(黒人奴隷と違って彼らは泣きませんが)
面白くもなんとも無いのですが、その美しさから 玉虫は貴重品扱いでした。


学校の理科は不得意な悪餓鬼達も、虫取りに夢中になって、
みんな山の植生を理解して麓から今から浸透して行く山の何処に 
哀れな甲虫が居るのか解る様になります。

漆に弱い人間は、櫨の木の下を通っただけでもかぶれます。
5-6回漆にかぶれてお岩さんみたいな顔になると、
免疫が出来て以降かぶれなくなりますが。
その顔のひどい事、痒い事、気が狂いそうになり、
かきむしるとなお更ひどくなる。
漆器などは一体誰が考えたのでしょう?


蜂捕りほどでは、ありませんが山の中は危険がいっぱい。


水場にはマムシがよく居ます、長い棒を持って随分先の
草むらや、地面にがさごそ振動を与えます。
なぜなら、蛇は耳が退化して音は聞こえませんが
振動は感知できるので、逃げる隙をやると噛まれません。
夏の終わりから秋にかけて仔を生みますから、その時期の
マムシは気が荒いので特に注意。


同級生や上級生で、知っているだけで3人も噛まれて病院送りにされているので
かなりの、高確率です。
一度噛まれて病院から出てくると、あだ名は必ずマムシになります。
木戸君と言うクワガタ捕りの神と崇められた、2年先輩がいたのですが
特にマムシが多く入山禁止の山に
一人で浸透して行って、みごと噛まれてしまいました
丁度彼が『死にたく無い』と泣きながら山から降りてきた所に遭遇しました
それでも、キャンディの缶に入った甲虫の山は手放していませんでした。
母から聞いた木口小平は「シンデモラッパヲ クチカラハナシマセンデシタ」。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E5%8F%A3%E5%B0%8F%E5%B9%B3と
言う話しを思い出して、とっても気の毒でしたが笑ってしまいました。


彼の半ズボンの右足はパンパンに腫れていました。
『小鹿物語』のジュディのお父さんが脚だか腕をガラガラヘビに噛まれて
見る見るうちに腫れあがったのを思い出して恐かった。
1週間入院となり、出てきた時はマムシに噛まれた木戸君と呼ばれていました。



中には剛の者が居て、まむしの頭をあっという間に押さえて
クワガタ君の缶の中に監禁します。
それを家に持って帰り、お父さんに渡します。
お父さんは一応叱りますが、次はするなよといって
そのマムシを空の1升瓶に幽閉します。瓶の三分の一ぐらいにきれいな水を入れて
瓶の口をナイロンで覆い空気穴を開けて。
2-3日に一度水を入れ替えて、1ヶ月マムシの体から
排出物を全て出させます。餌はもちろん何もやりません
その間も、何も知らない哀れなマムシ君は1升瓶の中でピンピンしていますが・・・・。


そして、運命の日。
処刑の朝 水は捨てられて1升瓶の中には彼が一生かかっても
飲みきれないほどの焼酎が注がれます。
水の中では飲まず食わずでも平気なマムシ君でしたが
生まれて初めて飲んだ焼酎で急性アルコール中毒になり、
短くも苦労ばかりの一生の終わりです。
もったいないと、昨夜の飲み残しのアルコール度数の低い
焼酎だと、マムシ酒にはならずに発酵してドロドロに腐ります。
(乙類は不可です、必ず甲類で。梅酒もマムシ酒も同じです)
田舎にも洒落た人は居るもので、ジンかウオッカで造ると
不気味な理科室の蛇の標本状態になります。(少し濁りますが)



話しが大いに逸れてしまいましたので、元に戻します。
山の中には5-6人で浸透していきますが必ず2-3m間隔を空けて歩きます。
そうしないと、前を行く友達が曲げた枝が戻り 突然鞭打ちにされます。
虫取りは大体、梅雨時期の遊びで盛夏になると
川遊びが主になりますから、シーズンは梅雨の雨の藪の中です。


今みたいに「虫除けガード」等と言う便利な物はなく
(仮にあってもせっかく捕った虫が死ぬのでふれませんが)
その日ばかりは、暑い中を長ズボン、長袖、帽子の第一正装
中には長靴、雨合羽、水中メガネのセレブもいます。
梅雨時期なので、山の木々はずぶ濡れです、
哀れなクワガタ虫君たちは自分の居る木に衝撃が走ると
体を硬直させて木の下に落下すると言う暴挙に出ます。
小学3年生の餓鬼が蹴ったぐらいじゃビクともしない
大木も「アラ不思議」。ほんの小さな振動でやはり結果は同じです。
木に溜まった水滴の滝と共にボトボト落ちてきます。


初めは虫の落ちた音か、ショパンの「雨だれの前奏曲」か解りませんが
すぐに、虫は虫、水滴は水滴と聞き分けられるようになります。
クワガタ君達は、衝撃があると死んだ振りをして木から落ちるくせに
地面にたどり着くと、慌てて落ち葉の下に隠れます。
落ちた位置と、音源の個数を一瞬で覚えなければなりません。
それを、ちゃんとできる事が「虫捕り、マイスターの道です」。


今日の成果をキャンディのカンカン一杯にして
全身泥だらけ、蚊の刺し傷だらけで家に帰ると
母親から死ぬほど、ひっぱたかれていましたが。
「ワタシハシンデモ、クワガタムシノハイッタ缶ヲ ハナシマセンデシタ」。
  1. 2008/08/04(月) 01:56:32|
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