シェフの戯言 黒いページ

リストランテ・ロアジのまわりで起きた様々な出来事を少し辛口につづってみました。

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冬のヴェネッツィアで 2

初めてヴェネッツィアの風景を見たのは ルキノ・ヴィスコンティ監督の「ヴェニスに死す」を見た時。冬枯れの町はマスカレード(仮面舞踏会)までは時間があり閑散としていた。
不思議な町だった。運河に落ちて溺れて死ぬ子供はいても、
車に撥ねられて死ぬ子供はいないだろう。

007のカジノ・ロワイヤルにも出ていた風光明媚な所ではあるが、
潮が引いてくると運河はドブ河となりかなり臭い。
「ヴェニスに死す」の中でもコレラが流行して
主人公のアッツエンヴァッツハは罹患して死んでしまうのであるが、
干潮時の臭い街中を歩きながらなるほどと訳も無く感心してしまった。


この町は今も砂州の中に少しずつ埋没している。
沈んでしまった家の上に家を建て又沈みを何度か繰り返しているとのこと。
地球温暖化で海水面が3M上昇すると 哀れヴェニスの町も海底の藻屑と消える。
着いた日の夜食事をしていると隣の席の団体様が楽しく騒いでいらっしゃる。
言葉はフランス語だった。
「あなたはお1人ですか?」とニコニコしながら英語で話しかけられた 逆ナンパですか・・・・。
まあ楽しそうな方達だったので、お話を「あの英語は止めましょう 私はフランス語が話せますから」。
そう言うと「信じられないは」と非常に喜んでくれた。
彼女達はスイスのフランス語圏からの観光客で。
名付けて(未亡人の会)
ある村の未亡人ばかりの集まりで(若いといっても30代から60過ぎですが)
別に私達主人を「殺っちまった訳じゃないからね」と楽しいおば様達。
突然今日の獲物の私は、彼女達に愛されてしまい
今からゴンドラにいっしょに乗りましょうと誘われた。
(なぜ若いセニョリータじゃないのとは思いましたが)
別に断る理由もなかったのでいざ乗船。

ゴンドラにもピンからキリまであって。
かたや二艘立てで船頭、カンツォーネの歌手、アコーデオン奏者、
ワイン、ケータリングのご馳走まで積み込み、
まるでトラファルガー海戦でもやりそうな派手な仕立てから、
船頭1人で決められた距離だけ黙々と漕ぐだけのものまで。
それぞれの財布に合わせて悲喜交々。
我がおばちゃん達はかなりリッチらしく。
私のディナーの勘定書きは消え、
さらに、お金はもっているからといって高い仕立てにしてくれた。
楽しかったですよ。なんせ私はバルセロナに行っても、
サグラダファミリヤ教会に行かない人間ですから。
自分1人だとゴンドラなんぞにはぜったいに乗らなかったでしょうから。
あんなものと少し馬鹿にしていたが私が乗った時みたいに夜中ではなく暮れなずむ港を恋人と二人で流してもらえば多分最高でしょう。

小一時間あちらこちらとゴンドラは流れ、
黒澤監督の「生きる」の挿入歌ゴンドラの歌でしたっけ?


命短し恋せよ乙女、紅きくちびる褪せぬまに。
熱き血潮の冷めぬまに、明日の月日はないものを・・・・。



スイスにきたら寄りなさいと言って住所と電話番号をいただいたが、その時の旅ではスイスは予定になく。
親切なおば様達に、(多分二度と会うこともない一期一会なのに)又の再開を約束して別れた。


ホテルの部屋の中までカンツォーネがリフレインしていた。
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  1. 2007/10/30(火) 15:38:32|
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冬のヴェネチアで

記憶が曖昧だが確かシューベルトの歌曲で『冬の旅』というのが在ったはず。
物語は昔の恋人の面影を追いかけながら冬の旅をするお話。
ある年の冬に2ヶ月ヴァカンスを取ってイタリア、フランスの冬の旅をした 
別に昔の恋人の面影を追いかけた訳ではないが・・・・・。


その時初めてヴェニスの町を訪れた、ハーリーズバーで食事がしたかったのと、
ヴェローナに行く約束の日が変更になり棚ぼたに1週間旅の予定が空白になったので行ってみた。
ヴェニスの町は水上バスか、水上タクシーか、歩き以外の交通手段は無く(泳ぎたい方は泳ぐって手もありますが)。??????の町だった。
水上タクシーとゴンドラは初めに料金の交渉をして合意の上乗りましょう
なんて言われていたので恐くて乗りたくなかったし 
大きなトランク2個も持っていたけどバスにした、駅からグラン・カナルを
こちら岸、あちら岸とゆっくり進むので結果としてはバスで正解。
サンマルコ広場のすぐそばのBauer Grunwaldという五つ星に落ち着いた(とってもお高いホテルでしたがフィレンッェのサヴォイホテルのヴァンディティ支配人が
予約をしてくれたのでなんと1泊3000円のでたらめ価格、持つべきは友)
初めての町は何故か心がウキウキと弾み、楽しくなってくる。
水道をひねり手を洗ってうがいをしてみたが水は美味しくなかった。
しばらくして町に繰り出す。
もう夕暮れ時なので軽く一杯なんていいですね。
ホテルの1階に洒落たバーがあるのでそれではとドライマティニーを頼む。


パリ時代稚拙な我が英会話力の向上のためお金のある週末はパリヒルトンのバーに
通い詰めたものではあるが(アメリカ人が多く宿泊しているため)。
 夜が始まる初めの一杯はドライマティニーだぜとアメリカ人の歯科医から教わった、
開高さんの珠玉にも冒頭ドライマティニーの話しが出てきたが宵の一杯はこだわりますね。
ステアーかシェイクかとは聞いてはくれなかったけどしばらくするとその物体は出現した。
一口飲んで後頭部を思いっきり殴られた様な衝撃が
『ちがうこれは断じてドライマティニー等ではない』。
昔見たドリフのカトちゃんのまねをして思わずふきだしそうになった。『これはドライマティニーなの?』
『はいはいそうですが何か?』
生涯飲んだ中で最悪最強のまずいドライマティニーに遭遇してしまった。
フランス語で『オララー』と毒吐いたが、後の祭り。


ベニスでは運が悪いと街が水没して、観光も何もできなくなる。
幸い私が訪れたときは一度も高潮もなく 長靴も履かず 
尾瀬の湿原の小路みたいな板の上も歩かずに済んだ。
(運が悪いと滞在期間中全て水浸しで長靴と板の上の生活らしい)
ヴェニスの町の嫌な思いではドライマティニーだけで済みそう。
お目当てのハーリーズバーはすぐそばだったので次の日のディナーを予約する。


これもシリーズ物になったので残りは明日
  1. 2007/10/27(土) 12:05:37|
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逮捕されました 2完結編

乗せられたのはシトロエンのでかいワゴン車というか、ちょっとおしゃれな移動式のクレープ屋さんが使っているような車。
それは私1人のためではなく、唇が切れ頭から血を流しているオヤジ(彼だけ手錠をされていた)、あきらかに娼婦2名、たぶん不法滞在のセネガル人、それと私、みんな不安からか車の中で『あんたいったい何やらかしたん?』。後年その車の事をパイニエ・ド・サラド(サラダの水切り籠)と呼ばれている事を知った。
サイレンは鳴らさないでくれたので 往来の皆様の注目は集めずに済んだが。途中すこし渋滞していると護送車の警官『メルド!(クソ)』とかいっていきなりサイレンを鳴らし始める。
昔みたアラン・ドロン主演の『パリの灯は遠く』という映画のエンディングを思い出してかなり怖かった。作品の中で主人公は自分と同姓同名のユダヤ人にすりかえられて最後は何処かの強制収用所に送られてしまうという怖いストーリーだったけど最後に送られる貨物列車の隙間からパリの灯りが段々と遠くなる。彼が二度とパリには戻れないのは、痛いくらいに伝わってくる。
さて我等が豚箱、パリ市警ポルト・ド・ヴェルサイユ分署(たしかそんな名前)に到着。留置場に入れられる前に金属類とひも状の物は全部没収、ドミニック・フランスのネクタイとダンヒルのベルト、靴紐、カフスが、消える。預り証にサインをする。留置場にしばらくいると呼ばれて それから8時間の長い取調べが始まる。住所、氏名、生年月日、職業、基本的なことを聞いた後は事件の核心に迫る質問を あの場所で何をしていたのか、本当は見張り役ではなかったのか逃げた共犯者の名前は、住所は何処か?。その時自分に掛けられた疑惑の正体が何であるのかを理解する。
後年の私なら弁護士を呼んでくれで、話しはおしまいなのに若いということは時にとんでもない困難を伴う。その時はまだ外務省の役人ではなかったのでウィーン条約にもとずいた外交官の不逮捕特権などもなく やってもいないかっぱらいの疑惑を晴らすべくド下手糞なフランス語で悪徳パリ市警と渡り合わなければならず胃が痛くなる思いだった。2時間近く調べられてやっと開放かと思いきや、担当の警官が変わっただけでまた1から同じ質問が繰り返される。
(さらに昔大阪の梅田で嫌がらせにあっていた女の子を助けようとしたらチンピラと喧嘩になり2対2で大乱闘の末曽根崎警察にお世話になった事を思い出す。いっしょに乱闘に加わった友達が相当喧嘩の強い奴で相手にかなりの怪我を負わせて最後には一晩お泊り保育になってしまった。相手が先に手を出したこと、目撃者が何人もいたし、被害者が逃げずに我々の潔白を証明してくれた事で何とか翌日無罪放免されたけど身元引受人がおらずアパートの向かいの部屋のおばあちゃんにたのんだら悪い足を引きずって迎えに来てくれた。『あんたはええことしたんやしお昼おごったげよ。』ご馳走になったうなぎは口の中が切れていてとっても痛かった。)
こんな所に泊まりたくない、お腹が空いた、『おいカツどんはまだか』?しかし質問は同じように繰り返される。その後もう1人担当官が変わり同じ質問を繰り返された後正面と側面からの写真と五指の指紋をとられやっと有罪放免。
その晩ブリュッセルに帰る事、フランスには当分来る予定が無い事で不起訴処分にしてくれたらしい。

それでも 私はやっていない!
朝から何も食べていない私のお腹は極限状態、でもパリの夜中で食事ができる所なんて、駅のそばか繁華街まで行かないと・・・。
ガール・ディ・ノード(北駅)の近所で食べたアンデュリィエット(豚の腸のソーセージ。メチャクチャ臭い)とポンム・フリット(揚げ芋)は心に染みた。
ブリジットとは二度と会わなかった。


  1. 2007/10/18(木) 22:52:31|
  2. 昔々
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逮捕されました

まだフランスの通貨がフランだったころ。
秋も深まったある日、確か誕生日の後だから11月も末。
パリの郊外 ポルト・ド・ヴェルサイユで大きな食品見本市をやっていた。
どんな経緯で其処に誘われたのか今では忘れてしまったけど男女合わせて7名の多人数でいざ物見遊山じゃ!



幕張メッセみたいな大きな会場で盛大に見本市はやっていて、見たこともない食材、調理機械、なかなか面白い。
一緒に行った友達は、ブリジットという女の子1人だけ知り合いで他は、その日初めて会った方達。
言葉使いからしてあまり宜しからぬ家庭環境の方達らしい。
(フランスは階級社会で言葉使いから大体の家庭環境が解ってしまう。近年の日本でも同じですか?)
しばらくするとナニやらおかしな行動を始める。

会場には様々な物のサンプルが置いてあって一応只で持って帰れる、もちろん非売品あり、即売の商品ありでそれらの物が欲しければ交渉するなり 何がしかのお金を支払って買うという行動を起こさなければならない訳で それらの社会的契約を無視して実力行使に及ぶ事を、私の田舎では万引、カッパライ、幼少を過ごした関西では笑ってくるとも言っとりましたな。

辺りにある、パテ、生ハム、コアントロー、グランマニエ、ソシソン、何でも消える。

私の家は恐ろしいぐらいに厳格な家庭で、祖父は海軍の軍人で何かに付けて海軍式で、いわく海軍式の早飯、いわく海軍式のビンタ、いわく海軍式の便所(とっても早く済ませなければならないんです。)床だの畳の拭き方、箸の上げ下げまで事細やかに躾られて。
一度となりの席の子の鉛筆が私の筆箱に紛れ込む事件が発覚して夜中なのに田んぼ道をトボトボ歩いて返しに行かされた。
そんな恐ろしい家庭で人様の物を盗もうなんて事をしたら、たぶん全殺し100%。

とんでもんない奴と係わり合いになったなーとガッカリして、元々友達でも何でも無いから一人で帰ればいいやと思って別行動をとることにした。
別れて活魚用の水槽のサンプルの前で『これは日本製じゃないか』。などと思っていると件の悪餓鬼共が脱兎のごとく駆けてくる、警備員に追いかけられているのである、なんと奴らはその日の獲物を私のまえにぶちまけて『トーマス頼む』といって逃げて行った。

かくして私ははめられたのである。保安室に連行されて取り調べが始まる。私は何もやっていない ハハハ皆さん何やっているのですか。誰かこれらの品々を私が盗む所を見た人でもいるのですか。
当時まだそれほど上手くなかったフランス語で身の潔白を訴えた。でもこんどブリュッセルに帰ったら私の所属する美食クラブのメンバーに食後に話すジョークのネタにしてやろうと、馬鹿笑いをしたのが運の尽き、何やら何処かに電話を始めたその時初めて心に不安がよぎる。


遠くから
サイレンの音が聞こえてきた。




  1. 2007/10/15(月) 11:20:28|
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旅人

韓国、アメリカ、デンマーク、イギリス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ、ドイツ、フランス、スイス、イタリア、モナコ、サン マリノ、スペイン、ポルトガル、シンガポール、香港、台湾、フィリピン 以上19カ国私が旅した国々である。
暮らした国もあれば観光だけの国もある。
友達、知人の人種はさらに雑多となり、トルコ人、アルメニア人、アラブ人(エジプト、モロッコ、アルジェリア、チュニジアetc)
黒人(ザイール、ガボン、コートジボワール、ケニアetc)
中南米人(コスタリカ、パナマ、コロンビア、ブラジルetc)
アジア人(中国、インド、タイ、ヴェトナム、etc)
国籍はいったい何カ国になるやら?
約10年近く色々な国、色々な人々と出会った。
辛い事はいっぱいあったけど思い起こせば総じて楽しくて幸せだった。(又やりなさいと言われたら遠慮しますが)
旅人には全ての国の人がやさしかった、泊めてくれる方、いきなり自宅のディナーに誘ってくれる方、カフェのカウンターでぼんやりしていると一杯奢ってくれる方、よほど私が貧しく見えたのかお金をくれる方、見ず知らずの私を40kmも先の駅まで送ってくれる方。


ある夏イギリス人のご夫妻にニースのホテルネグレスコで(実は前日の夜私1人で食事をしていて私もネグレスコに泊まっていると勘違いされて招待されたわけだけど)夕食をご馳走になり一生で何度も無いような感銘を受けた。
彼はもういい歳で若いころはインドシナ戦線に送り込まれたイギリス兵だった日本軍の捕虜となり収容所にも入れられていたそうである。
「日本人の事怨んでいないのですか」?
「初めは怨んだけど、戦争はいつも悲惨だからな」。
「それにいつまでも怨んでいたらホンダのディラーなんかしていないし、今の私が財を成したのも戦後の日本人が優秀な工業製品を作ってくれたお蔭だからな」。
でもいまだに「バカヤロー」と言う言葉は大嫌いだそうである
収容所で日本兵にこずきまわされ浴びせられた言葉だからである。3時間近く色々な話をした、「謦咳に触れる」。という古臭い日本語を思い出した。
その時はすでに私はリッチな若者だったのでお食事代を密かに支払おうとギャルソンに合図を送ったが首を横に振り「もうお済です」。
敵ライミー(イギリス兵の事)の方が早かった。御礼を述べた後「部屋で吸いなさい」私のジャケットに図太いハバナ産の葉巻を一本ねじ込んでくれた。
最後に私がした質問「どうしてこんなに親切にしていただけるのですか」?「君が旅人だから無責任な親切なんだよ。だから何も気にしなくていいんだ、楽しかったよお休み」。
部屋で1時間近くかけて葉巻をすった少し大人の味がしたが私の細くて小さな唇には葉巻は似合わない。



  1. 2007/10/02(火) 14:49:43|
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