シェフの戯言 黒いページ

リストランテ・ロアジのまわりで起きた様々な出来事を少し辛口につづってみました。

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北北西の風 風力3 天気晴朗なれどもボロボロ

先日は恒例の「大濠花火大会」観賞ディナーを開催した。
自分が主催しておきながら甚だ無責任であるが
今回ばかりは我が業病も佳境に入り
人とにこやかに談笑したり、ましてや自分主催の会のホスト役なんて
無理、無理、無理、無理、無理、無理と100回繰り返して見たが
それで現状が好転するわけも無く、とりあえず必要な食材が
キッチンの中に手付かずのまま山と積まれたわけはあるが、
私と言えばあいも変わらず人間生ゴミである。


その間「存在が先か、意識が先か」とか。


深い森の中で大きな木が倒れたら果たして音がするのかとか。


魚が楽しそうに泳いでいると、魚の楽しみについて
荘子と恵子(けいし)の不可知論について考察したりとか。


手を叩くと音がするのは右手なのか左手なのかとか。


学生時代の友人でラーメンを食べる時に
必ずスープを完食してからおもむろに、麺にかかる奴がいたが
いったい何ゆえにそうする道を選んだのかとか。



時間ばかりが流れてゆき ぞくぞくするほどの焦燥感に
苛まされながらも結局は何もしないのである。
と言うかできないのですが・・・・。



パーティの人数は約30名。
仕込み開始のタイムリミットの48時間などはとうの昔に過ぎてしまい
それでもどうしようもなく後は信じてもいない神にでも祈るしかないのです。
運よくハイになることを祈って突然飲酒を始める。



ジャッキー・チェンの傑作で「酔拳」と言うのがあったが
あれは飲めば飲むほど強くなるのであるが、残念なことに
料理を作るための研ぎ澄まされた感性は
酔っ払うと甚だ鈍くなるので、飲酒は良くないのではある。
解っちゃいるけど止められないのが人の性、仕込みの時間限定と
残り時間14時間前に始めなければならない私の
しょうもない選択である。

夜中の2時に嫌々仕込みを始めて次の日の17時終了。
眠らず、食わず、食わず(ワインだのビールは飲んでいましたが)
今回はまる子は先月から病気の為不参加で 結局は30人前の
前菜からデザートまで全て私一人の孤独な作業が続きました。
15時半に久しぶりにmika&mikaコンビが復活
気使いのプティmikaさんにお見舞いの差し入れを色々頂く
かたじけなさに涙がちょちょぎれる。
タクシーに乗ってトランスポート 無事時間までに到着。
何とか人間としての責任を果たす。


通常は60人とか70人とかの とんでもない人数なのですが
今回は病気の事が解っていたのでなるだけ勧誘はせず30名で正解でした。
今回の食材の量は、3kgタッパーで7、2kgタッパーで11
他にバン重で3台約60kg以上の食材の持込 通常ではこの倍以上の量で
60とか70名ではとても今回の健康状態では只では済みませんでした。


何度もやっている会ですが、今回初めてゆっくりと花火を観賞する事ができました。
しかし北北西の海風、花火の硝煙がまともにこちらに流れてきます。
煙のスクリーンを通してみる花火はまるで、馬頭星雲を
眺めているみたいです。
今回はとてもエンジョイできたのですが、病と笑い男のせいで
途中何度か切れそうになりましたが、事なきを得て家路を辿り
空腹のために(通常自分で作った料理は味見程度しか食べません)
なんと日清のチキンラーメンを食べて歯を磨いて寝ました。


今日は今からリハビリです。
例えどんな状態でも75点以上の出来にしなければならない私の仕事
皆さん大喜びなのがほんの少しの慰めです。
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  1. 2009/08/05(水) 19:03:27|
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ポルトガル式結婚狂騒曲 2

6時半に始まった、披露宴。
宴もたけなわ、料理が止め処もなく出てくる、出てくる。
ワインもこの日は、お酢ワインでは無くまともなワインが好きなだけ


パウロ師と色々とお話をする。
フランシスコ・ザビエルはポルトガル人ではなく
バスク人だと言うことを初めて知りました。
日本の守護聖人が、フランシスコ・ザビエルなのをみなさんご存知でしたか?
パウロ師驚くほど、日本の事にお詳しかった。
奇跡の復興!十字を切る、奇跡の経済成長!十字を切り手を合わす。
最先端のエレクトロニクス、天を仰ぐ。
資源を持たない国が、これほどの経済大国になれるとは
我がポルトガルもとお嘆きになるが、
毎日あくせく時間に追われて、働く日本人より
心にゆとりを持って生活している、ポルトガル人の方が幸せだと思いますと伝えると
”汝パンのみに生きるにあらず”を思い出されたのか。
そう言っていただいて、心が休まりますと。


異教のというか、まったくの無神論者の私を大らかに受け入れてくれて
ありがたかった。
(大抵宗教の方とこんな席でお話しをすると、とても酷い
宗教論争になってしまいますが、)


基本、人嫌いな私が外に外に開いていく
年に1度あるか無いかの、人癲癇である。
辺りに居る人を捕まえて、色々お話しをしました。
相変わらず、じろじろ見られるし。
写真に一緒に写ろうと、会場の方全てと記念撮影をしました。
そうこう、しているうちにデザートに
みなさんは料理の描写を期待しているかと思いますが
はっきり言ってよく憶えていないぐらい食べました
あたかも、ピーテル・ブリューゲル描く「農民の婚宴」のような情景でした。
お腹は相変わらずでしたけど・・・・。


で、アトラクションの時間。
始まったのは何んと、王様ゲーム(本当の話しです)
この日のクイーンのディアナが、手当たり次第に
指名して無理難題を、吹っかけます。
「トマはベアトリスとキスする事」。
「トマは、日本の歌を歌う事」。
(なぜか、よしいくぞうさんの”追いかけて雪国”という古い歌をうたいました。
歌い終わって、あの歌はどんな歌なんだと聞かれたので
日本のファド(ポルトガルの演歌)だといったら、ふーんととても感心されました。
「トマは知っているだけのポルトガル語を話せ」とか言いたい放題です。



合コンもお見合いの無い国で
(今の日本にも この良き風習がなくなりつつありますが)
数少ない異性と巡り会う機会は結婚式の披露宴が肩代わりしてくれます。
何でも自由にしてしまう、ヨーロッパの北の富める国に
比べて、彼らは貧しく清いクリスチャンでした。
この夜も何組かの、カップルができていました。
披露宴の席が乱れるのは、洋の東西を問わないみたいです。
6時半に始まった宴会が0時を過ぎても、終わる気配すらなく
いよいよ盛大になっていきます。


明日は、朝5時にヴィアレアルを出発して
1日でイベリア半島を横断して、ボルドーまで行かなければならない
私としては、かなり心配な今夜の雲行き。
親友と呼べる数少ない友達の、ハレの日最後まで付き合いたいけど・・・・。
結局1時半に宴は果てて、それからみんなとクラブに踊りに行って4時に寝て、6時にはボルドーに向けて出発しました。


お腹ですが、ボルドーに着いてボルドーワインを飲んだら一発で治りました。
ヴィニョ・ヴェルデと炭焼きポルトガルの水が私には合わなかったようでした。
  1. 2008/07/03(木) 17:38:36|
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 石のスープ 1 

ポルトガルのリスボンに着いたときは、夕暮れ時。
テージョ河に架かる巨大な、ヨーロッパ最大のつり橋を
(4月25日橋と言います。初めはサラザール橋と呼ばれていましたが
無血革命を記念して名前を変えたそうです)
渡る頃は、壮大な夕陽が大西洋に沈み。
夕焼けが辺りを包み回りの全てがオレンジ色
いっしょに、旅行したガールフレンドに
「私にこれが見せたかったのでしょう」?と思わず株を上げてしまいました。
私の生涯の夕焼けベストファイブに、入る素晴らしさ。


陽もどっぷり暮れた頃、予約していたホテル・ディプロマティコに到着。
私の車が、その時は外交官プレートだったので
「デプロマティコ」?(外交官ですか)と聞かれたので
「シイ」(はい)と答えたら勝手にお部屋のランクを上げてくれて
ポルトガルってなんて良い国なんだろうと思いました。
(それが後でとんでもない事になるとは思いませんでした)


服を着替えて早速辺りを散策と言うか、何か美味い物を食べようと
うろつく。
その時ポルトガルに行ったのは、親友のルイースの
結婚式に出席するためで、夏のバカンスを利用しての
1ヶ月のドライブ旅行。
すでに、パリ、ニース、モナコ、ジェノバ、マルセイユ、
バルセローナ、サラゴサ、リスボンととてつもない距離を
くるまを転がしていました。
この日も朝の6時にリスボンを出発して12時間、約700kmの長旅でした。
「あの夕陽はきれいだったよね」先ほどの興奮が冷め遣らない
二人は気もそぞろ・・・・。


ルイース情報では、この時期は石蟹(イチョウ蟹)が美味しいからぜひ食べろと、
言う事でしたので、ムキになって暫しうろつく
ポルトガルは、長崎や神戸や函館(まだ行った事はありませんが)と
同じで坂の多い街です。
それに、路面電車網が発達しているのは良いのですが
人が一人歩く歩道の幅がぎりぎりで後は、路面電車がやっと通れる
ような狭い道も沢山ありますので、わざわざポルトガルまで行って
路面電車に轢かれて死んだりしないように、注意して下さい。


リスボンの何処なのか、今では憶えていませんが
賑やかな飲食店の立ち並ぶ、通りがあったので
一番きれいで流行っている店に入る。
こちらが、ポルトガル語を話そうが話すまいが、お構い無しに、ペラペラと
この方口にオリーブオイルでも塗っているのではないかと
思えるぐらいよくしゃべる。
とにかく、わけが解らんので両手で蟹のはさみの形を作り
チョキチョキとして見せたら、解ったとうなずくので待つ事暫し・・・・。
まず、髭でもそりますかと聞かれそうな巨大なナプキンを
首に巻かれていると、
子供のお風呂用の洗面器ぐらいのごっつい蟹が現れる!
めいめいに人でも殺せそうな木槌とまな板が渡される。
要するに蟹をばらして、まな板の上に乗せて
木槌で叩き割って食べろと言う事らしい。
そういえば、店のあちらこちらで盛大にパーカッションが聞こえています。
ガンガンパキ!、ガンガンパキ!口も聞かずに蟹の解体と咀嚼に耽る。
この蟹、二人で1杯を食べるのですが別にサラダを食べて
ポルトガル名物”ヴィニョ・ヴェルダ”(緑ワインと言う、緑かかった白ワイン)
でもいただくと、お腹はいっぱいです。

最後に甲羅の味噌を白ワインで溶いてすすめてくれましたが
スープのような、塩味のワインのような、不思議に美味しい味でした。


このお話しもシリーズ物に・・・・。
  1. 2008/06/23(月) 16:53:15|
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  1. 2008/04/19(土) 02:19:28|
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絡まれる。

一昨日仕事が終わって、さて今夜も引越し荷物の梱包かーと
一人で愚痴ってしまいましたが・・・・。

今日だけは早く帰って、ペットボトル及びビン類を
ゴミとして出さなければ大変なことになると
(私の地区は月に一度で第4火曜だけ)
急いで帰ろうとしていたら、闇を切り裂く でぶった黒い影。
「お疲れ様です」と言って入って来る。
返事はいつも「なんやおっさん」?か
「おっさん何かおもろい事でもあったんかい」?である。


男は私の前の椅子に座ると、色々と世間話を始める。
「悪いが私は近々引越しをするので、荷物の梱包があるんやけど なんやな兄さん」?


彼は私の最後の弟子である。
彼以降は、何だか面倒臭くなり希望者が居ても
弟子は取らない事にした。
(仮に来ても大体1-3週間の命でしたが)



はっきり言って朝の「お早うございます」。から
帰りの「お疲れ様でした、お先に失礼します」。まで
1日中後ろについて箸の上げ下げから、お辞儀の角度まで
注意したり、叱ったりするのに最近疲れ果てました。


みんなで、賄いを食べる時「いただきます」。も言わずに
先輩より先に食べる新人は、教育をする前の教育が
基本的に何もできていないし、親が本来しなければならない
行儀作法の躾を何故赤の他人の私がしなければならないのか?


初めの半年は労働力と言うよりはっきり言って邪魔な新人君。
本人は働いてくれてるつもりでも 何とか動けるかなと
思えてくるのが1年後、何とか基礎の基礎ができるまで
三年の月日が流れます。
それから、4-6年でまあ何とか見習い終了かな?


彼も六年間一日中、怒られたり、こずかれたりしながら
何とか見習い期間を終了、2年前に私からそろそろ
出て行きなさいと追い出されて。
現在では大きなイタリアンレストランで、セコンドですが
実質は料理長をやっているので
まあ本人うちでやっている時は辛かったと思いましたが
「他所に行けば大抵の店でシェフ(料理長)でやれるよ」。と
言った事は嘘でもなんでもなく、元から居る料理長は
彼に比べればかなり低レベルな仕事しかできないし
管理職とは何をすべきかと言う事も(数字の管理)
しつこく教えたので、計数の管理も問題は無いでしょう。
(我々の中には料理を作らせればそれは見事な料理を作れても
計数管理ができないシェフが何んと多い事か?)


さて、前置きが長くなりましたが・・・・。
彼は今週末華燭の宴に臨むらしく、身内だけの地味婚らしいので
招待は受け取らんが、男にもマリッジブルーがあるのかどうか
解らないが今夜は飲みに行きたいと、ディナーテーブルに
しがみついて離れないので「しょうがねーなー」と言って
飲みに出掛ける。
うちを辞めてこの男金回りが良くなったらしく
中州方面までタクシー代は持ちますからどうぞと言って
くれましたが、基本私は1km前後なら歩きだし
彼はよほど今の暮らしが幸せらしく
身長は私より13cmも低いのに体重は私より20kgは重いでしょう
「歩け、話もできるし」とトボトボ歩く。
「何処に連れて行ってくれるのかね」?
「私の手下の居る店にご案内します」。
「手下って誰よ」?
先日までうちで研修していた女の子の働いているお店です。


「手下ねー」早いものでうちを追い出されて2年である
彼にも弟子が居て当然なんですが・・・・。
それから3時間近く彼の弟子のパティシエーと
研修ちゃんと彼とメンバー途中入れ替わりがありましたが
久しぶりに料理の真面目なお話しをしました。

別に本人絡んでいるつもりはまったく無く、私の弟子ですから
お酒を飲んでも一応は紳士として振舞ってくれますが
仕事の話(組織の事、基礎ができた上での個性的な料理など)
何だかその気迫に押しつぶされそうになりましたが・・・・。


でも考えてみれば、私も彼の年には大きなホテルの
総料理長とやらで、18-24名のコックさん相手に
日々迷いと苦悩の連続でした。
彼の今抱えている問題が当時の私が抱えていた問題と
あまりにも同じで「歴史は繰り返す」のかと苦笑いです。


酔っ払いの、それも不細工な男相手でしたが
とっても楽しゅうございました。



PS・そう言えば昔この男と人生最悪のクリスマスイブを
過ごした事がありました。
私にとって男二人で朝6時まで過ごすなんて悪夢以外の何物でも
在りませんでした。
イブの夜に男二人で食べるディナー・・・。
明け方当時のガールフレンドの元にグデングデンで
帰り疑惑の目で見られるし・・・。
  1. 2008/03/27(木) 22:54:33|
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